無意識の暴力のことを考えている。
無意識の暴力とは本人としてはまったく暴力性がないと思っているが受け取り手によっては暴力になってしまうこと。今考えたワードなのでオフィシャルな何かではない。と思う。まあそういうことってこの世に存在するよねと思っていてそれを前提にしている。
それに類するものは、様々な多様性の観点や人類の経験値により昨今は『ハラスメント』として処理されるものはずいぶん多くなった。けれど、いまだにレギュレーションには引っかからないが確かに無意識の暴力は存在する。
ある人にとっては「正論」だったり、ある人にとっては「当たり前でロジカル」なこと、そういったものが視点や前提にあるコンテキストが異なる者からすると意外や途端に暴力性を帯びるといったところか。
「なんか根本的に合わないね、あの人と」というとき、よく考えるとシンプルに無意識の暴力が発生しているときがあるなと思うことが結構ある。インターネットにおいても現実においてもどちらでも。
『受け取り側の解釈の問題じゃない?そういうつもりはないが…』というのもあるとは思っているが無意識によるものなのでそれはそう。一方で『そんなつもりじゃなかった』は通用しないのがハラスメント取り締まり事情なのでどうしたもんかねと思う。
怖いのは自分もまた無意識に暴力をはたらいている可能性があるということで、そうして今日も誰かを傷つけてしまったのではないかという疑念が拭えないこと。こうして書いているこの文章にもまた無意識の暴力が発生していないだろうか。不安だ。
『現代がそうなだけで昔から人間の文化はずっとこうだったし、昔はもっと顕著だったよ』といえば確かにそうかもしれないし、こんなことを気にしていても毒にはなれど薬にはならない。とはいえようやく典型的なハラスメントが淘汰されるようになってきた昨今、ある種そうした目立ったものに覆い隠されていた無意識の暴力が最近は目立つようになったという話でもある。