牛乳パックを手に取るとたまに広告が載っている。あまりに自然に溶け込んでいるものの、たしかに広告欄がある。
牛乳パックの広告欄はちゃんと広告として機能していてえらいなと思う。たぶんこれはさりげなさが効いているのではないかと思う。あくまで飲むために牛乳を買っていて、飲むために冷蔵庫から手にとっている。その主たる目的を阻害せずに副次的に広告してくるだけだからか、あまり嫌な感じがしない。
これを考えると、動画に差し込まれる広告はその動画を観るという主目的に割り込んでくるから不快感が強いのだとわかる。一方でインフルエンサーの広告案件の動画はそのタレント性に副次的に広告が乗っかっているから、不快感が和らぐのだと感じる。イベントで協賛企業の広告タイムに場がしらけるのは、イベントが主目的なのであって協賛企業の広告を聞きにきたわけではなく、そこに割り込み要素があるからだとわかる。
牛乳パック的な広告欄は実はあんまりないんだなという気づきもある。弁当の蓋とか、ペットボトルのラベルとか、ポテチの袋とか、いくらでも広告欄にできそうなのに意外と侵されていない。たぶん広告のルールやコストとか様々な大人の事情がありそうだけど、そこまでは調べていない。
牛乳パックの広告欄はこんなことに気づかせてくれたという点でもよくできているなと思う。