ヒトナツログ

最上階角部屋に住みたい

疲れ把握のススメ

疲れていると判断能力が鈍るので、いま本当に疲れているのかどうかの判断すらつかなくなってしまう問題がある。

疲れるといっても例えば「疲れたからちょっと座りたいね〜」のレベルもあるし、「横にならないとムリ…」のレベルもあるし、「疲r…バタリ」(病院へ搬送される)のレベルもあるし、最悪死ぬレベルもある。疲れにもいろいろある。ただその境界は曖昧で、表面的・視覚的にはどれくらいなのか判断ができない。心拍数センサーのようなテクノロジーから多少は判断できることもあるけれど、毎日病院で精密検査受けれるわけでもないし基本的に疲れのレベルは主観的な判断にゆだねられているのが現状である。

人間は疲れたからといっても溶けたりしないのが厄介で、たとえばわかりやすくでろでろし始めたら他人からみて「あの人疲れてるんだな」とわかるし、本人としても『溶けてきたからそろそろ休まないと…』となるはず。わかりやすい指標がないから人間はムリしたり気づかなかったり気づかないフリをしたりサービス労働したりと、まだ大丈夫という謎の判断をしてしまう…。

そういうわけで我々人間には疲れの指標が必要なはずで、そういうものが欲しい。溶けたりしない代わりになにかしらのアラート基準を設けたい。

肉体的な疲れ

自分の場合は肉体的な疲れは足にクる。足の裏がダルくなって次にふくらはぎ、次に太もも裏という具合。「マッサージしてもらいたい…というか取り外し可能ならいますぐ取り外したい…」ってなる。

僕は肉体的な疲れはわかりやすく出るからお風呂でマッサージして横になりましょうという風にまだなれる。

たぶん多くの人も肉体的な疲れは体のなにかしらに出やすいからわかりやすいのではないかと思う。

問題は精神的な疲れのほうで、これがかなり判断しにくい。

精神的な疲れ

顔に疲れがあらわれるとはいえ、それがどれくらいの疲れなのかは他人からは判断ができない。

そして精神的な疲れは本人の疲れた脳で疲れているか判断しないといけないのでまともに判断できるはずがない…。

僕はどうやら精神的な疲れが一定値を超えると「めんどくさい………」と思うらしいというのが長年生きてきてやっとわかってきた。椅子をたって1m後ろにある本棚の本を取るのすらもめんどくさくて無意識に「やりたくないよ〜〜〜」と思う。で、なにか別のことに現実逃避しようとするフシがある。Googleで5文字ほど打って検索すればわかるであろうことも、めんどくさくて検索しようとしない。平常時はそんなことはなくて人一倍なんでもかんでも検索するのに疲れているとこのザマになる。

最近やっとこういう傾向があるというのがわかったので、精神的な疲れの休み指標ができつつある。

なんで今さらになってわかってきたかというと、疲れているときにどんな感じになってるかなんて疲れてる脳では冷静に観測できないからで、単純に「そういえばそういう感じになるな…」とふと気づいただけのはなしである。だからこそ、ここまで観測に時間がかかってしまったのだろう。

精神的に疲れると僕のようにめんどくさいと思う人もいれば、怒ったり泣いたりする人もいるかもしれないし、甘いものが食べたくなってしまうとか、お酒が飲みたくなるといった症状が出るひともいる気がする。ドアをつい強く閉めがちになるとか、特定のジャンルの曲を聞きたくなってしまうとかもあるかもしれない。

肉体的な疲労が頭痛に出る人もいれば胃に出る人もいたりするように、精神的な疲れの指標もまた人によって様々だと思う。


疲れは少しずつ溜まっていって蓄積されるからいつから"疲れた"の状態になって"休むべき"になるのかわかりづらい。だから生きるのは難しいともいう。わかりやすく溶けたりしてほしい、いや溶けてほしくはないけど。未来の世界では体内にチップを埋め込んでおいて疲れるとドローンが迎えにきて強制的に休ませられるような世界になっていて欲しい。

残念ながら今はまだ主観的に疲れを判断するしかない世界なので、疲れを把握して指標を立てて休むべきタイミングをつかんでおくのが大事だと思って書いた。

疲れるとどうなるかを把握して他人にも共有しておくと疲れてることがわかるのではとも思う。

ようするに僕が異常にめんどくさがっていたら疲れている可能性が高いので休むように促して欲しいということです。

気にしないの難しい

自分は結構な神経質で、生きていて気にしてしまうことが多すぎてそれで損していることがあまりに多い。

自分の性格およびライフスタイルが原因だけど自分でもなりたくてなったわけでもないし、正直もっとラクになりたい。自分の脳内回路の結果で起こっていることなのに、それを自分の脳で自制して改善するのはなぜこんなにも難しいのか…。

そういうわけでせめてちょっとずつ改善していきたいと思って、とりあえず今週は『気にしない週間』ということにして生活していた。気にしはじめていることに気づいたら「気にしない週間…」と頭の中で思い出してできる限り適当に済ますようにしていた。

でも今日どうしても自制できないレベルに気にしてしまうことが起こってしまって、そのせいでなにも手がつかなくなってしまい1日が終わってしまった。しかもその気にしている事象は100%解決していない…。

気にしない週間のはずだったのに5日目で失敗に終わってしまった。完全に敗北した。また明日からリスタートするつもりではあるけどはたしてこんな調子で生きていけるのか…。

そして気にしない週間を失敗したことを悔やんでこうして日記を書いている。

気にしない週間を失敗してもそれを気にしないくらいの人間になりたい。

というかそもそも気にしない人は気にしない週間なんてものを自らに設定しないのか…真理に気づいてしまった。

いろいろあるけど明日も生きるしかないのでほどほどに頑張って生きていきましょう。

お弁当向け冷凍食品の難易度が高い

昨今のたいていのお弁当向けの冷凍食品は1個1個がプラスチックのトレイに入った状態で売られている。

トレイは全部繋がって1シートになっていて、キリトリ線状に切り込みが入っているから食べたい分だけ切り取って使える。

切り取って使える…。キリトリ線があるし簡単に切り取れるかのようにみえる…。

…実際たしかに好きな分だけ切り取って使える。しかしあまりに…難しい…。さまざまな問題に我々は直面してしまう。

ダイブ問題

実際のところキリトリ線を手で切ろうとすると思った以上に力が必要。力を入れて切り取ろうとするとやわらかいトレイがゆがむほどにはグッと力が入る。切り取った瞬間の反動でトレイの中の惣菜は暴れて外へ脱出しようとし、運が悪いとそのまま脱出してしまって調理台とかシンクとか床にダイブしてしまう。

反動による飛び出しダイブするのを阻止するために手で惣菜をカバーしながら切り取ろうとするも、あまりにも力を入れずらい。ちまちま1メモリずつ切り取るみたいな動作になってしまう。

なんなのか。

vs 破片

そういうわけで手は諦めハサミあるいはナイフで切り取る作戦を試みる。

こういう鋭利な道具を使うと手で切り取るのと違って横方向に力が入らないのでダイブ問題はクリアできる。けれど、こうすると今度は小さいトレイの破片が発生するときがある。セルフ異物混入してしまうと当然惣菜から破片を取り除く作業が発生してしまう。

朝の集中力もまばらで時間もかけたくないときにこんな細かな作業をするのは人類にはあまりに難しい。しかもロスタイムが大きい。

なんなのか。

高難度カーブ地帯

手で切り取るときも道具を使うときも直面する。主に奇数個入りの商品のトレイでみられる。

トレイのキリトリ線が…カーブしている…。

曲線のキリトリ線に沿って手で切り取るときはさらに力の入れかたが難しいし、ハサミやナイフなら何度も方向を変えて切り取る必要がある。破片が出るのはカーブ地帯を切り取ったときが圧倒的に多い。

そもそも奇数個だからといってキリトリ線がカーブしている必要はないはず(?)

なんなのか。

衣・ソース問題

例えばフライ系の惣菜の場合、開けた瞬間から衣が調理台に散らばってしまう。トレイの裏側にも衣が付いてしまっているからどうしようもなく衣が散らばってしまう。

電子レンジに入れると電子レンジの皿あるいは庫内にも衣が散らばってしまう。だから小皿に乗せてレンチンする一手間が必要。洗い物がひとつ増えてしまう…。

ソースカツとか南蛮とかのソース系の惣菜はさらに厄介で、衣同様にありとあらゆるものにソースが付着するのであまりに扱いが悪い…。ハサミもナイフもソースだらけになるし手もソースでベタベタになる。手で切り取るにはソースでめちゃくちゃすべる。

なんなのか。


そういうわけでお弁当向け冷凍食品にけっこう難儀している。

解決策が見当たらないので日々ソースをいたるところに付け、破片を混入させ、衣をあちこちに飛ばし、学びがないので道具を使うのも面倒なときはあいもかわらず手で切り取ろうとし床やシンクに惣菜をダイブさせたりして日々楽しく過ごしています。

みなさんのキッチンでの冷凍食品生活はいかがでしょうか。

いいなぁって思うけど

雑誌とか広告とかさまざまな媒体のコンテンツをみて『いいなぁ』って思う。思うのだけどそれ以上の感情や熱量が出ることがかなり少なくなってしまっている。

これ欲しい!ここ行きたい!というような純粋な気持ちで心から湧くはずのその感情がめったに出てこない。昔はもっとたくさんそういう純粋な"want to do"の気持ちが毎日のようにあったはずなのに。

心に問う

「今いいなぁって思ったよね?なのになんでその次の感情が出てこないの?」

『うーん…本心でいいなぁって思っていない気がする』

返ってくる答えもなんだか煮え切らない。

どうにも精神が弱っているんだろうなという実感はある。これではよくない。健康な人間はもっと欲があったりパッションがみなぎっているはずだと思う。

アテもないけどどこか旅行にでも行けばなんとかなるんじゃないかなぁとか思って、本屋に行って旅行雑誌とか特集記事などを立ち読みした。でもやっぱり「めっちゃいい!ここに行きたい!」というような感情は一切芽ばえてこなかった。

1泊2日で巡る〜とか、非日常を感じる〜とか、格安航空でいく〜とか、今◯◯の××が熱いとか、色々な見出しがある。オシャレなカフェや美術館やホテル、温泉、おいしそうなごはん、絶景などなど、その地域の名店や観光名所をめぐるルートが列挙されている。どのプランや旅行イメージもすごく『いいなぁ』とは思うけど、やっぱりそれ以上にはならなかった。

どれを見ても自分がそこに行く、行って楽しんでいるイメージが全然湧いてこない。自分ごととして捉えられない。自分は楽しめるのか?そこに行って?そこでそんなことをして?

なにもかもが異常に加工されているというのも原因のひとつかもしれない。プロのカメラマンが撮影した宣伝用の写真には観光客は映っていないし曇ったりもしていない。すべてが快晴、食べ物の盛り付けも完璧だ。耳障りのいいキャッチコピーとPhotoshopで"いい感じ"に修正されつくした写真ばかりが並んでいる。インスタ映えといえば聞こえはいいかもしれないけど虚像だということを僕たちは知ってしまっている。それでもなお『いいなぁ』とは思ってしまう。

人間は虚像が大好きで発展してきた生物だからか、どれだけ"創られて"いても『いいなぁ』と思ってしまう。


細かいこと考えずに感情に素直になればいいんだよとか、考える前に行動すればいいんだよっていうのはわかるのだけど、わかるのとできるのは全然違う。それをスッとできる人もいればできない人もいる。僕はできない側で、そうするにはエネルギーが半端なく必要なタイプだ。そしてそのエネルギーはない。パッションもない。それをなんとかしたくてどこか行きたいと思っていたはずなのに、目的に拒まれてしまった。

世の中は基本的に需要がないものは量産されない。本屋には旅行の本はうんざりするほど積まれている。ということは世の中の人は雑誌を読んで『いいなぁ』と思ってスッと旅行先を決めてゆけるということなのだろう。

なぜ自分はマイノリティ側なのか…生きやすいのはおそらくこっち側ではないので自分もそっち側になりたかった。努力してなるべきなのだろうか。