ヒトナツログ

高級ヨーグルトをカゴにシュッと入れてみたい

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東京にいる

東京より。

概説

  • 東京にいる
  • 京都にはもういない
  • 誠に遺憾である
  • お茶しましょう

結構だらだら書いたのでこの日記は長い。

※すべて個人の感想です

京都にいた

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京都には約8年と4ヶ月住んでいた。京都市内に住んでいたので以降出てくる京都は京都市の話。申し訳ないが……。

最初は4年くらいしか住まないだろうと思っていたのに、ずるずると月日が経ってしまって結果として予定よりも2倍も長くあの土地で暮らしていた。

京都はいい街だった。僕にたくさんの経験や出会いをくれた。今後も思い出の深い街として僕の中で存在し続けると思う。

でも正直に書いてしまうと、僕はずっと京都のことを好きになれなかった。

どうしようもなく好きになれなかった

京都生まれではなく移住者で長く住んでいる人は、京都のことが好きな人が多い傾向にある気がする。いや京都に限らず出生の地でない場所で暮らし続ける人は、多少なりともその土地を好きになるものなのかもしれないが……。ただそれにしても京都ラブな人が多い傾向にある街だったように思う。

頭にくるほどこれが嫌いという話はなくて、『合わない』という言葉に尽きるのかもしれないと思っている。『合わない』ことが一番頭にくるのかもしれないけれども。

いくつか言語化できるものとしては、まず京都のビジネス文化はサッパリ理解できなかった。ずっと京都で京都人を相手に仕事をするのは困難だと感じた。人間、本能で理解できないものと対峙したときが一番怖いしつらい。

あとあまり体験面で『京都に住んでよかったな』と心から思えた体験が少なかったせいもあるかもしれない。決してよい体験が1個もなかったわけではないから、相対的によい体験が少なかったなと感じている話ではある。ただ比喩表現だけど空回りしていた体験とその記憶が多く、しょんぼりしながら家に帰った日の記憶が色濃い。この日記を書きながら思い返してもよい体験がなんだかパッと出てこない。そういった調子の日々だった。これはめぐり合わせが悪かったのか自分が悪かったのか……。どちらかかもしれないしどっちもかもしれない。

当然、京都で楽しくよい体験を得て過ごしている人はたくさんいるから、そういった人たちを横目にいいなとかうらやましいなと思っていた。

よかった体験として挙げられるのは人との出会いで、京都では多くの人々との出会いがあったけれど、どれも僕を豊かにしてくれたと思っている。ひとつひとつ挙げるとキリがないので挙げはしないけれど。

ただそれでも6年目くらいからは以前書いたように、ずっとこの調子だった。

written-1natsu.hatenablog.com

京都に惰性で住み続けていて、彩りも味気もなくただただ過ぎゆく日々に、焦りや不安や悲しみを通り越して生きている心地がしなくなってしまっていた。

別にそういった状況が京都のせいだとか言いたいわけではなくて、責任を押し付けたいとかそういうのでもない。ただ僕が京都という土地にいて、うまく流れに乗れなかった、それ以上でもそれ以下でもないことだと思っている。

最初に書いたように『合わない』というやつなのではないかとはずっと前から思っていたのでなんとかして離れるしかないとずっと考えていた。

ちなみに補足的な書き方になるけれど、京都でインターネットの人と会ったりした体験は非常によかった。けれどそれはインターネットの文脈なので直接的に京都の文脈ではない気がしている。上述のしょんぼりした記憶はインターネットの文脈ではないところでの体験とその記憶のはなしを指している。

京都での総体的な暮らしの気分は上述の感じだったけれど、街という文脈では京都の街自体はコンパクトでよかった。

どこに行くのもシュッと行こうと思えばいけるし、移動時間も読みやすいから都市設計としては非常に優秀だった。

ただ同時にコンパクトすぎて棲み分けが難しいという面もあった気がする。文化の棲み分けも人の棲み分けもうまくいっていないように感じていた。これは住んでいる人しかわからない感覚かもしれない。混在しやすいので相容れない者同士がお互いに意図せず近接してしまうみたいなことが起こりがちだと思っていた。もしかすると僕だけがそう思っていただけかもしれない説はある。

京都なので川について触れておく。京都にはいくつか川があるけど、僕にとっての川は主に賀茂川だった。京都に詳しくない人向けに書くと、出町柳の鴨川の分岐点から左側の上流の川が賀茂川。人には人の川のありかたがあるけど、僕の川は散歩道だった。

川にはなんの恨みもないが、ただ歩くか流れている様子をぼ〜っと見続けることしかできなくてそれ以上でもそれ以下でもなかった。

なんとなくだけど京都が好きだと言っている人は川をエンジョイしている人が多い気がしていた。そして舞台は鴨川のほう。川を見るのではなく川でなにかをやっている人は京都の生活を楽しんでいるように感じていた。僕はただ川を見るだけだった。京都生活を豊かに過ごせるかどうかはデルタに踏み入れられるかどうかなのかなどと本気で考えていた。デルタは川の分け目でもあるし生活の分け目なのかもしれない。

結局のところ僕はデルタには踏み入れられなかった。いや、厳密には片足踏み入れたような時期もあったが、結局は敵わなかった。

これは精神性の話なので物理的には何度もデルタに踏み入れたことはある。

東京にいる

『合わない』というやつなのではないかとはずっと前から思っていたのでなんとかして離れるしかないとずっと考えていた。

離れる機会がうまれたので東京に引っ越した。

なぜ東京かというと行き先が東京だっただけというそれだけの話。別に東京に行きたくて東京を選択したわけではないし、むしろ東京には絶対行きたくなかった。東京行きが決まってからもずっと引っ越すまで『東京行きたくないよ〜〜』と言っていた。

引っ越した今もまだ全然実感はなくて、妙な感じがするなぁと思っている。東京で暮らしている。本当なのだろうか。

住んでいるところが全然東京らしくないところなので、実感がない要因はそれだと思うけれど、それにしても実感がない。

有名な街、新宿とか渋谷とかに行くとさすがに人間は多いしあらゆる情報が過多で『ここは東京なのだなぁ』と思うけど、そういったエリアに毎日行くわけではない生活をしているからか、まだどこか住んでいる人間の感覚ではなく観光者の気分になってしまう。そのうち慣れるだろうけれど。

出費

引っ越すにあたって色々と買い替えたいものが多かったのもあって支払いが多く出費がめちゃくちゃで、だいたい100万円くらいかかった。

100万円あったら軽自動車が買えるので車を買う機会を逃したのと同等。車を買わずに東京居住チケットを買ったようなものである。

ひと月の内のわずか2週間程度で100万円くらいがポン出ていくと金銭感覚がバグって面白かった(面白くない)。3000円のランチ?安いのでは?みたいな気持ちになって先月あたりは色々と感覚が危うかった。

ちなみに今はお金がなくて困ったね〜という気持ち。お金があって困ったね〜ってならないのが人生。

腐っても首都なのでお金が必要な街という印象を持っていて、実際そう。

京都もそこそこ家賃高いほうだと思うけれどその比ではなく京都の1.75~1.85倍くらいが家賃相場という学びがある。東京の人は金のことをいつも考えているというイメージがあったけど、この街では金がものを言うのだというのを実感できて、そういう思考になるのもなるほどなぁと思ってしまった。

お金がジャブジャブ減っていく生活をしながら将来のことを考えつつ人権のある暮らしをしようとするとまあ稼がないとダメというのがひと目でわかる。大変な街だと思う。正直なところ自分の性分に合ってない気がする。

物価

物価は家賃以外は京都とはそんなに変わらない気がしている。田舎にいようが地方にいようが東京にいようが今はみんなAmazonで買い物するからインターネット価格が基準になっているし、インターネットで買えるものはインターネットで買えばよいという世界になっている。

コンビニならびにチェーン店では価格が統一されているケースが多いから、そういったところで買い物をするときも物価は変わらない。外食の価格も京都や大阪と変わらない。

スーパーの値段も京都と大差はない。京都より安いケースすらある。

水道代も電気代もほぼ変わらない。

家賃だけが異常に高いと思う。

労働者

この言葉失礼があるしあまり好きじゃないのだけど、外国人労働者が東京は明らかに多い。

チェーンの飲食店に行くと店員さんの名札が全員カタカナ表記だったりする。日本生まれ日本育ちっぽい店員さんを見ると珍しいな〜って思うくらいにはそういう労働文化になっている。住んでいる地域柄でそういう文化になっているだけなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

コンビニの本棚

関西では雑誌に紐ついているところがほとんどだけど、東京はわりと紐ついていなくて立ち読みし放題になっているのをよく見かける。

関西はそれでも立ち読みできるものを立ち読みしようとする人間がいつもコンビニにいる感じだったけれど、東京は立ち読みできるにも関わらずあまり立ち読みしている人を見かけない。なぜなのだろうか。

落としもの

東京ではあんまり変な落としものを見かけない。関西では『いったいなぜここにこんなものが落ちているんだ……』というのをよく見かけたけどそういった落とし物はまだあまり見かけてない。

見かけたものとしてはスーパーの前にちくわが2本落ちていたくらい。

まあ渋谷に行くと主に酒で終わってしまった人間が堕ちていたりはする。

お気持ち

東京オリンピックを前に控えた2019年に東京に引っ越すというクソダサいムーブをキメてしまったことについては誠に遺憾に思っている。

おかげで時期も悪く物件もほとんどなくて消去法で選ぶしかなかった。最悪のムーブ。引っ越しにあたって様々なトラブルがあって疲弊しまくったし、引っ越してからもトラブルがあってつらかった。なにがあったかはここには書かないけれど。

僕は東京が日本の単一障害点になっているという社会システム上の問題もあまりよく思っていないし、すでに過密を極めている東京になおも人口集中しているのもよくないよなとは思っている。思ってはいるがそれはそれこれはこれ問題で、地方経済がすでに停滞していて今の自分含め我々世代が地方で生きていくにはあまりに難しいと感じるのもまた事実。生まれ持って今の地方経済でもまだ十分に生きることができる能力や特性を持った人間だったなら別にそんなことで悩みはしないのかもしれないが、僕はそうではないし今の自分ではやはり難しそうだと感じていた。あと単純に地方で暮らすという方向でご縁がなかったという問題もある。

矛盾した気持ちを抱えた中で結局は東京に吸収されるかたちになってしまったことも含めて誠に遺憾に思っている。

京都には8年4ヶ月いたけど今回も何年いるのかはまったく不明。来年にはもういないかもしれないし、来年はまだいるかもしれない。

お茶しましょう

京都には最低でも月1回程度のペースで「今日ご飯どう」→「おけ」or 「ノー」みたいにシュッとメッセージ送って頻繁に会う間柄の友人がいたのだけど、東京にはそういった友人が今のところいないので寂しさがある。寂しさというよりも気持ちの捌け口というかセーフティな時間を設ける機会がないことの不安感というのが正しいかもしれない。集まって特別何をするわけでもない、なんでもない時間を作りたい。

お酒はここ最近全然飲めなくなってしまって、禁酒というよりほぼ卒酒みたいな状況。飲んでも1杯くらいしか飲めない。飲みたい気持ちはあるけど飲むと体調にモロに返ってくるようになってしまって、痛みを伴う行為を自ら進んでする気が起こらなくなってしまった。フラッと気になったバーとかに寄るみたいなことをするのが難しい。

代わりにみんなが飲みに行くようなタイミングで茶をしばけばいいんじゃないかなと思っていて、そういうのをやりたいな〜と思っている。ただ一人で就業後とかにカフェに行ってコーヒー飲んでもなんだか張り合いがないのでお茶してくれる人を募集しているという状況。お茶しましょう。

東京におるんかって思った方、ご連絡お待ちしております。邪悪な人でなければ歓迎です。

ちなみに

引っ越したらウィッシュリストを貼れと言われたので貼っておきます、ウィッシュリスト


色々書いたけど今はとりあえず死なないように生きようという気持ちで生活している。死ぬまでが人生。

京都はいい街だった。僕の好きな街にはならなかったけれど、それもまた僕にとっての京都だったんだなと思う。

東京は僕にとってどんな街になっていくのだろうか。