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夢の世界へ夢をみていた

小学生、もしかすると幼稚園のころかもしれないけど、夜眠れないときは「早く楽しい夢の世界へ行くんだ」というモチベーションで眠りについていた。夢の世界はどんな世界なのか、夢の世界で自分はどう過ごせるのかをゲームチックに頭の中で設定する。夢の世界での設定をあれこれを妄想していたらいつの間にか眠りについていたり、はやく思い描いた夢の世界へ行きたくてスッと眠りに落ちてゆけていた。

実際には思い描いた夢の内容はほぼみることはなく、気づけば朝で母親に起こされウウとなりながら起きるという感じだったと思う。けれどこのころは「現実は退屈だったり制約が多いけど夢の世界は構築自由だからなんて素晴らしいのだろう」と夢の世界に夢をみていた。

でも大人になるにつれ「夢の世界は"夢"なのだ」という現実性を獲得してしまい、いつしか冷めてしまった。今では眠れぬ夜に幼き頃のように夢の世界を思い描いても、ワクワクしたモチベーションは沸き起こらない。むしろ夢の世界を考えるのに頭を使ってしまって、脳が覚醒して眠れなくなる。どれだけ夢の設定を思い描いてもほとんどその内容をみれないことは知っているし、夢をみるということは睡眠が浅いという現実も知っているし、睡眠が浅いと翌日しんどいという現実も経験からよく知っている。いい夢はみたいけど、でも夢がどれだけ楽しくても現実はそこにあるということも知っている。悲しいことにもう夢の世界に夢はみられなくなってしまった。

夢の世界へ夢をみていたあの頃はとてもワクワクしていた。夢の世界はなんとかなるという漠然としたものがあった。現実の退避先として夢の世界に夢をみていたのに、大人になるにつれ現実に追いつかれてしまったというのはなんとも皮肉なものだと思う。

夢に夢をみれなくなった大人はいったいなにに夢をみればよいというのだろう。


この日記は以下の日記を読んでなぜかなんとなく「自分は小学生のときどんなことを思ってたかなぁ」と思ったので書いた。

midunoiro.hatenablog.com

自分は入院経験が意外と(?)無いので、入院生活の具体なる部分はわからないけど、そこにある漠然とした退避したいというような気持ちはなんとなくわかる気がする。不安や混沌、明日明後日レベルではなくならないであろうストレスから逃げたいような衝動とでもいうのだろうか。ここではないどこかへという感じかもしれない。

子供の頃の自分は夢の世界へ器用に退避できていたけど、いまは不器用なので退避できない。漠然としたものから退避する術を見失った大人はただ闇雲に漠然とセーフルームのような場所へいきたいとだけ思うようになるのかもしれない。

漠然と夢をみていたころのようになにかしらの手段で現実から退避したいと思っている。