ヒトナツログ

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父と会話した

父が東京に来ていたので久しぶりに会って夕食を共にした。

『ちゃんと時間をとって父と会う』なんて機会は人生において実はあんまりなくて、会う直前にお手洗いに行った際にふと「そういえばなに喋ればいいんだろうな?いつもどんな調子で会話していたっけ……?」と急に焦ってしまった。

待ち合わせは最寄駅でしたのだけど初見でパッと見、気づけなかった。よく辺りを見渡したらいた。その辺を歩いているような自分とは無関係な初老のおじいさんかと思ったら父だった。2度見して気づけた。母と電話した際に最近いよいよ行動がおじいちゃん化してきているとは聞いていたけど、順調に見た目もおじいちゃん化が進んでいた。声をかけたらたしかに自分の父親だった。スマホを見るときはもう老眼鏡を掛けないと見えないらしく、完全におじいちゃんという感じだった。

父とサシで夕食をするのに丁度良いお店が分からなかったけど、以前にランチへ行ったらおいしかった創作料理屋ならまあ間違いはなかろうと思い、そこへ向かった。

久しぶりすぎて何を喋ればいいんだろうかと思っていたのは杞憂に終わった。久しぶりだったこともあってか卓を囲ってお互いのことをあれこれ話していたら話題は尽きることなく、なにも気を張らずに喋れている自分がいた。よかった。会った途端に「そうそうこういう”感じ”だった」と思えてふつうのペースを思い出せていた。ふつうの間合いというか、家族のペースというか、なんかそういうアレがすぐ思い出せた。

父は週末に美術館や劇場の公演へ熱心に足を運ぶような人間ではまったくないのだけど、なぜか旅行や出張で馴染みのない街へ行くとそういった場所へ足を運んで催しを楽しむのが好きらしい。会う前に東京で何をしていたのかと聞いたら、フィーリングでチケットを買って、劇場でまったく知らないパフォーマンス集団の公演を観ていたと言っていた。別に普段は劇場のゲの字も聞かないような生活をしているのに、知らない土地でまったく知らないパフォーマンス集団の公演を観に行くのはまったく謎である。でも父は楽しそうであった。趣味があるようでない父なので、こういうときに部屋でテレビをひたすらボケーッと見るのではなく取れるムーブがあることは少し安心する。

なんやかんやで終電近くになってしまい駅まで送っていったのだけど、去り際の背中というか足取りというかをみて、なんだかちゃんと目的地まで帰れるのかと心配になってしまった。

駅改札から外へ出たら秋の夜はもう十分に寒く、いつのまにか心配される側から心配する側になってしまっていたのかと思うとなんともしんみりしてしまった。月日の流れは残酷でもあり平等に流れているのだなと思いながら家路についた。