ヒトナツログ

健康でハッピーになりたい

生存状況 powered by Pixela

父について、あるいは原動力

今週のお題「おとうさん」


以前こんな日記を書いていた。

written-1natsu.hatenablog.com

なんだか自分は父のことをよく考えるとなんにも知らないな、と思う。

年始の思い出と機微 - ヒトナツログ

お互いに知らないことはこれからもどんどん増えていくのだろうし、いずれは知らない期間のほうが知っている期間を上回っていくのだろう。

年始の思い出と機微 - ヒトナツログ

書いて以降も引き続きあまり父のことを知らない期間を積み重ねている。

走り続けられるか否か

以前に確か実家帰ったときに父が何気なしにボソッと言ったことを鮮明に憶えている。

『お前らがいなかったら今まで仕事し続けられなかった気がするしここまで走り続けられてなかった気がする』

お前らとは子どものことでつまるところ僕と兄のことなのだけれど。なんの会話の流れでこう言ったのかは憶えていないけど、確かに父がそう言った。

父はいつも急にボソッと重みのある言葉を口にする。本人は自覚がないのかもしれないし、意外と意図的にそうしているのかもしれない。いや、父にそんな策士な部分はあるだろうか…。どちらにせよあまりに重みのある言葉だったから、そのときはなんて相づちを打てばいいかわからなかった。内心では「マジか…そんなに愛が…」と思いつつも「そっか〜」としか言えなかった気がする。

そもそも父は結構な仕事人間で、なんというか仕事が好きなのだと思っていた。いや仕事が好きなことは事実かもしれないけど、そこにやり続ける意味合いを必要としていたとは思っていなかった。だから駆動のためのエネルギーが必要だったことがすごく意外だった。

もちろん自分たちがのほほんと生きてきた背景に父の努力があったことに気づいていなかったわけがない。日々のあれこれから十分気づいていて、でもなんていうか…そういうのって日本特有なのかもしれないし、もしかすると我が家特有かもしれないけどあまり表立たせない雰囲気がある。でも父は確かに日々を全うして走り続けている。けどあまりにもそれが当たり前のことになっていて、なんていうか日常の一部に溶け込んでいて。父の努力はあまりにも自然すぎて日常の当たり前になってしまっていた。

このときの言葉はだんだんと僕の中で日々重みを増していて、ここ最近は父への尊敬の念が妙に膨れ上がりつつある。父は尊い

今まで走り続けてきた父は単純にすごいと思うし感謝しかない。ただただありがとうと思っている。

原動力

今の自分には特に愛する人も守るべきものもない。

…いやもちろん家族は愛しているし、友人や自分によくしてくれる人も周囲の人はみな愛しているけれど。そうではない。そうではなくて、主体性や自主性を伴う生物の根源にあるはずの原動力となるようなものが伴わないのだ。文章ではどうにもうまく書き表せない。

ようは父の言うような原動力のようなものがない。多くの場合は父のように子どもがいてそれが原動力となるようなケースは確かに多いのだろう。人によってはまた別のものであることもあるはずである。父の原動力がそうであったのだから自分ももしかすると子どもがいないと原動力にならないタイプの人間なのかもしれない。もしそうなら道はまだまだ長そうではある。

今の自分はイマイチ原動力に欠けているせいか、なんというか「こんなことでいいのか」とかよく思ってしまう。根っこのところで覚悟が足りないとかスイッチを切り替えきれていないとか様々な気持ちがある。原動力がほしい。原動力の大切さは父のことばからもわかるし、はやく原動力を獲得しなければ、今後死ぬまで走り続ける自信が正直なところほとんどない。

今後について

先日父と電話で会話したところ、なんだか直前の内容と会話がうまくつながらない場面があった。

電話の向こう側で後ろから母が「最近若干ボケが始まったみたいなときがあるんよー!」と茶化しながら言う。若年性アルツハイマーのそれではないかというのだ。笑いながら「あまりにひどかったら検査行ってね」などとは言ったもののわりと洒落にならないかもしれないので妙に"現実味"を帯びてきた。

それはそうと男性の定年後のメンタル的なロスは非常に多いと聞くけれど、我々子どもを原動力にしてきた父は余生の原動力をどうするのだろうかと若干心配ではある。心配されるほどまだ弱っとらんと言われてしまうだろうけど。父はあまり趣味らしい趣味がない人間なのでなおさら次の原動力を獲得できるのかが若干子どもなりに気がかりではある。

まあ自分は父のことをあまり知らないので、もしかすると若い頃からずっと心にふつふつと持ち続けてきた老後にやりたいことがあるのかもしれない。僕が知らないだけで『実は父さん老後はハワイでアイスクリーム屋をやるのが夢だったんだ』みたいなこと言いだすかもしれない。もしそれならあまりにも意外すぎるけど。でもなんだか安心はしてしまう気がする。

やりとり、口ぐせ、あるいはテンプレ

お察しかもしれないけれど、我が家は別に会話しないわけでもないけど踏み入った話もそんなにしない家庭なので、何度も書くようにあまり父のことについて知らない。

父は電話にあまり出ないので、なにか実家に要件があるときは僕はいつも母に電話する。

通話を切る際に母が「おとうさん◯◯(僕の名前)になんか用ある?」と聞くと決まって『ん、特にない、達者でな』とだけ返ってくる。そして通話を切る。

父はいつも『達者でな』という。電話だけでなく別れ際にはいつもそういう。口ぐせなのか、心からそう気持ちを込めて言っているのかはわからない。父はあまり語らない。

ちなみに母はよくしゃべる。


今日は父の日です。