ヒトナツログ

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地図も携帯も持たぬ者

散歩してたら自転車に乗った外国人男性が僕を追い抜きざまに突然ブレーキをかけ道を聞いてきた。大抵の場合こういう道を聞かれる場面では随分と現在地から目的地までが遠いパターンか、あるいは今まったくの逆方向に行こうとしていたかのパターンである。案の定、まったく逆方向に今走ってきているパターンだった。

「△△カフェに行きたいんです、◯◯交差点はどっち?なんとかっていう通りの公園のすぐ前……、すみませんモバイル持ってないので」という。わりと日本語が喋れる方だったので僕のiPhoneでGoogleMapを開いてあげて一緒に見ながら道案内もほぼ日本語で済ませられた。だいたい道をわかってもらえたところ「ありがとうございます助かりました」と言ってビュンと走っていった。

「無事にたどり着けるといいな、すこし距離もあるしまた誰かに聞いて軌道修正することになるかな…?」などと考えながら散歩を再開させた。そして僕は数十秒前まではなんとも思わなかったのに時間差で途端になにかが引っかかるような不思議な気持ちになった。というのも彼は地図も携帯も持っていなかったからだ。観光にしてはレンタルっぽくない自転車に乗っていたし、観光客にしては日本語が達者すぎた。留学経験があるか、仕事で日本語を使うか、頻繁に出張に日本へ来ているか、あるいは奥さんが日本人か……とにかく一般的な観光客よりも日本に近しい者という雰囲気があった。GoogleMapを見て道の通り名(大きい筋の道ではない)を知っていたので、行こうとしていたカフェもおそらくどこかで一度地図を見たのだろう。雑誌かインターネット…雑誌なら出かける時に持ってくる可能性が高いからインターネットか、ならスマホ持ってないのでデスクトップPC…宿泊先のラウンジにある共用PCで見たか。

彼とカフェを結ぶ情報は多少推測はできるが正直それはどうでもよくて、それよりもなにか引っかかる気持ちになった理由の根底にあるものが『異国の地で地図も携帯も持たずに行動するという行為』であることだ。自分に置き換えて考えるとどうにも不安で仕方がない。自分が多少その地の言語を喋れたとしても他国へ行って地図も携帯も持たずに行動するのは限りなく恐ろしいことのように思う。もちろん見知らぬ土地を五感で歩くという楽しさは比類がないほど増大するだろうけれど、それにしたって単純にリスクが高いことのようにも思う。自国(日本)で過ごしていてもスマホが無いと僕たちは不安になるし、国内の観光地に行ってもスマホ・地図・観光ガイド・カーナビなどどれかがないと全く動くことができない。それを異国の地でやってのけるというのはずいぶんとチャレンジャーであり好奇心旺盛でそしてとても度胸がありなんとも楽しそうで得も言われぬうらやましさを感じてしまう。ひとことで評すると『どこかかっこいい』という表現が適当なのかもしれない。


このできごとは、思いもよらずなにか自分とは大きく異なる線が一瞬だけ交わったかのようなできごとだったようになんとなく感じる。普段は決して交わらないものがふとしたバランスの歪みによって交わってしまったかのような妙な感覚があった。世界はあまりにも複雑な条件で成り立っているし、多様に生きられるものでもあるし、複数の単純な違いが折り重なって存在しているものでもある。不思議な交わりが極稀に起こるとなんとなく非日常な感じがして楽しくもある。