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失われたインターネット体験に想う

自分はヤフオク古参でCtoCなんてことばが無かったころから個人間取引しまくっている。あの頃はインターネットはとにかく匿名の世界で、そんななかで実名+住所+銀行口座などの個人情報を見ず知らずの人間に晒すのは大変にリスキーという雰囲気があった。評価がとにかく大事な世界だったから今よりもずっと丁寧に対応していた。メッセージのやり取りも一字一句失礼がないかに神経を使っていたし、いついつまでに入金します、入金遅れそうです、入金ありがとうございました、発送何日までにします、などなどお互い事細かにやりとりしていた。商品が届いてからも、メッセージで商品の感想とか取引のお礼を評価機能のメッセージとは別にやりとりする場面があった。全部の取引がそうではなかったけど、こういうコミュニケーションは確かに存在していた。邪悪な人は昔からいたけど、よい人も沢山いて、そういった見ず知らずのよい人と信頼を軸にテキストでコミュニケーションする体験が嬉しかったり楽しかったりした。

翻って現代。いまは2017年だけどこういう体験が個人間取引にはなくなってしまった。

部屋からゴミがわんさか出てきて7割は捨てているけど3割くらいはまだ買い手がいそうなものなのでCtoCのサービスで売っている。昔と違って匿名配送もできるし、支払いもペイメントサービス通したり運営を間にはさむからお金のリスクなども限りなく低くなった。やりとりもアプリの通知が逐一くるし現在のフェーズ(いまなにをすればいいか)も取引画面に出るからやりとりのズレが起こることもない。メッセージを一切送らなくてもボタンを押しているだけで取引を完了できる。

でも昔からのクセで自分は『支払いありがとうございます。いついつまでに発送できる予定です』などとメッセージをつい送ってしまう(発送目安日を超過して発送するわけではない)。僕のメッセージに対しての返事はほぼない。受け取ってからも定型文で評価が付くだけ、定型文はなく3段階評価だけが付けられるだけのこともままある。

インターネットの原体験はもうここにはないのだなと思う。


文化が大衆に広く開かれると変容するのはインターネットのみならずどの文化でも起こりうることなので、別に昔が良かったとか今がよくないとか今の方がいいとかそういう短絡的な比較やよさの誇示や現代文化の否定がしたいわけではない。けど、たしかに変化しているのだなとは思う。

現代のインターネットには現代のインターネットの楽しみや体験があるんだろうな、と思う。楽しさが別の場所に移り変わったり楽しいと感じる部分が別の軸に変わったりしているのだろうと思う。自分が取り残されてしまったか認識できなくなったか、はたまた現代的な楽しいインターネットと自分の思う楽しいインターネットの概念が乖離してしまったのかもしれない。世界もゆるやかに変化しているし自分もまた変化している。

でもなんとなくこういうことを書くとどうにも老害側のポジションの視点を持っているような感じがする。もう自分の好みと楽しさが合致した時代は終わったのだと言われているような感覚になる。わかってはいるけどでもやっぱりなんとなくさみしい気持ちはある。

いつまでも楽しく新鮮な体験を感じ続けたいけど、経験を得るごとに人生は体験が難しくなってくる。それに体験があっても世界と自分が合致しないタイミングもあって難しい。