ヒトナツログ

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年始の思い出と機微

2017年も終盤に差し掛かっているけれど、これは今年の正月に実家へ帰った時の日記。なんでいまさらと思われるかもしれないけど、急に思い出したからです。別にタイムリーなことを書くことだけが日記なわけでもない。

実家、田舎といえば田舎だけど高度経済成長時代には地方なりの人口もいて小規模な町の商店街もあり…というやつで、いわゆるどこの地方でも見られるイオンモールができたりして以降時代の流れと共に寂れの一途をたどり今は寂れているという具合の田舎で、店はないこともないし飲食店もないわけじゃないけど富んでいるとも言えないし車がないと生活は不可能という感じ。外食チェーンの店はいくらかあるが別におもろくもバリューがあるわけでもないよね、という感じでちょっと車を走らせたらスタバもあってドライブスルーがあったりする。なんとも言えない中途半端な田舎だけど、どこにでもあるような町でもある。


もう何年も初詣へ行ってなかったのだけど、なんとなく今年は近所の神社へ初詣に行くことになった。神社は駅前の寂れた商店街の一部にある。神社の横に幼稚園があり僕はそこへ通っていて小さい頃は足繁く通った地区だったし、小学校中学校も区画は同じなので記憶に馴染みの深い場所でもある。小さい頃の記憶は曖昧だし視点が違うからか、久しぶりに訪れた町はずいぶんと小さく感じた。『道こんなに短く狭かったっけ?』と思いつつ、せっかくなので神社の周辺の寂れた町を散歩した。

小さい頃にはまだやっていた店がなくなっていたり、新築に建て替わって民家になっていたり駐車場になっていたりシャッターが閉まっていたりする。よく行っていた駄菓子屋はもうないよな〜と思って前を通ったけどやっぱりやっていなかった。ぶらぶらしてると小さい頃はそんな路地があるのは知らなかったけどパブとかスナックが連なっているその手の路地を発見した。建物の老朽具合から最近できたものではなくどうやらずっとあったらしい。今でも営業しているかは不明なレベルだったけど大人になったので昼間だけどこっそり店のドア前まで行ってみると、もう随分と寂れている。窓ガラスが割れている店もあるし、夜逃げしたかのような雰囲気がある店もあった。でも外壁がまだ塗られて新しいようなところやドア前がきれいに掃除されている店も数店あった。まだまだ寒い1月の外気にあてられたのもあってか得も言われぬノスタルジーと寂しさのようなものを感じつつ場を後にした。

駐車場へ戻ると前方にこれまたずっと入ったことは一度もないけどたしかにずっと昔からある喫茶スナックの店があった。まだ看板もあるし正月なので定休日だったけど電気はその日も付いてはいて、確かにまだ普段は営業している様子だった。

『やっている店はいったいこの田舎でどうやって経営しているのだろう……いったい誰が来るものなのだろうか』などと考えながら実家へ帰った。

父親はなんでだったかは忘れたけど初詣には一緒に行ってなくて、その日の晩に「そういえば初詣行ったついでに商店街散歩したりしてきた」という話をした。寂れたスナック街があってなんとも言えぬ気持ちになったことや喫茶スナックはまだやってそうだった、などと話した。すると父親から意外なことばが返ってきた。

『あの喫茶まだやってたか、父さんが学生とか20代の頃はよく行ってコーヒー飲んでたわ。確か昼は純喫茶で、夜はビアパブ的だった』と言う。意外な返答につい、マジか………と思った。

というのも僕の知っている父親は喫茶店に通ってコーヒーを飲むような人間ではないからだった。僕の知っている父親は家で飲むコーヒーはインスタント、味もとやかく言わない、自分から進んで外食もそんな行かないしチェーンの喫茶店も行かない、休日は横になっているという感じで、なんというかそんな文化的な行動をしていた面があっただなんて微塵も感じられないからである。あの父が喫茶店に…コーヒーを…そんな……という具合である。

僕が知らないということは、僕が生まれた頃にはもうそういう生活をしないようになっていたか、はたまた僕が生まれたから変化があり行動が変わってしまったのだろうかなどと思う。でもよくよく考えるとあたりまえだけど父も人間だし、自分が生まれるまでの所帯持ちでなかったウン十年の人生があったわけだから、そういう一面があってもおかしくはないのかと思う。なんだか自分は父のことをよく考えるとなんにも知らないな、と思う。父はよくしゃべるタイプの人間でもないしなおさらである。

でも別に親子だからといって全部を知っている必要もないし、むしろ親子だからこそ知らないことのほうが多いのかもしれないとも思う。なんだかんだで実家を出て父と一緒に過ごさない生活をしはじめてからもう何年も経つ。自分は大学進学で実家を出ているから、まだお互いをよく知っていたであろう期間なんて実は18年しかない。お互いに知らないことはこれからもどんどん増えていくのだろうし、いずれは知らない期間のほうが知っている期間を上回っていくのだろう。

時の経過は気持ちをしんみりとさせてくる。