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ヒトナツログ

移住しました。京都にいる。

ひるね姫みた

日記 みた

金曜夜に映画観れそうな体力と気持ちがあったので観にいった。

劇場、かなり空いていて最高だった。観る側の環境としては最高だけど客入りという観点で言えば公開1週目の最終の上映で考えると悲しい気がする。

感想です

結論からいうと個人的にはすごくよかったと思っていて、作品全体に粘っこい要素がなくて頭にするする入ってくる感じだった。舞台はSFファンタジーなのに毒気があんまりなくて、なんかデカいのが現れて確かに街がドチャってなるし巨大ロボも出て戦ってるんだけど、なんというか終始のほほんとしている雰囲気があって、見終わったあとも全然疲れない映画だった。見たあとに監督のインタビュー記事読んで知ったのだけど、「自分の娘に見せたい映画を」というところが原点らしくて、なるほどたしかにという感じ。SF作品と称するよりもおとぎばなしと称するほうがなんとなくしっくりくる気がする。

よかったシーン

一番印象に強かったシーン、正直ストーリーの本筋とは全然違うけど冒頭の朝にオムレツ作ってるとこで、フライパンに卵液流し入れるところ『なんだこれは…完璧すぎる……』と思った。最近みた調理シーンで一番すごかった。

背景の描画もかなりよくて、夏〜〜、星空〜〜、雲〜〜というのはもちろんのこと、街の看板とか部屋にある家具とか小物とかまでかなりびっちり作画されてて見ごたえがあった。ぜひみて欲しい、夏が待ち遠しくなる感じがある。

カートゥーンの雰囲気

あと「娘に見せたい映画」になるほどと思ったことのひとつに、カートゥーンアニメっぽい雰囲気がどこかあると思っていて、本作動く時はかなり動くのだけどモーションの慣性にところどころにコミカルでかわいい部分が見受けられた。

こういう雰囲気のモーション(これはディズニーのやつ) THE ILLUSION OF LIFE

作中音楽も緊張感のあるシーンはたしかにピンとした雰囲気の音楽だったけど、全体的にSFファンタジーっぽい大人な感じではなくて、子どもでも受け入れられるようなキラキラした雰囲気があった。

ロボットと夜空を舞う!神山健治監督作「ひるね姫」本編映像を独占入手 : 映画ニュース - 映画.com

Youtubeに上がってないけど劇中の背景とか動きの感じ一部ここの動画でみれる。

なんというか最近こういう雰囲気のアニメは案外なかったなと思っていて、最近のSFやファンタジーものだとめちゃくちゃに重い設定や深い心理描写があって見たあとどっと疲弊する、というのが多い気がする。でも本作は真逆でそういうのがなくてある意味で新鮮だった。めちゃくちゃデカい迫力がある音が出るとか、脳にガンっとくるシーンがあるとかそういう雰囲気ではないので、正直見終わったあとの刺激不足感はあると思うけど、家帰ってしばらくしてじわじわとあ〜よかったな〜〜ってなるタイプの作品だと思う。

トーリーの運びとかなんで急にそうなったとかタブレットが頑丈すぎるみたいなツッコミポイントはかなり多い作品だと思うけど、ファンタジーですよ?現実じゃあないんですから、、、というやつで、本作はそういう方面じゃない部分を感じて楽しんで欲しいというやつです。

世間のウケは正直そこまでよくないのだろうけど僕は非常に好きな作品だった。今のところ興味なかった人もよかったらみましょう。

検索結果の2番目

インターネット

インターネットするときのクセがある。

『検索結果の1番目を無意識に避けてしまう』

というもので、どうにもこうにも治らない。

心当たり

心当たりはあって、昔はGoogleの検索結果の一番上に出てくる広告の精度がかなり悪かったことに起因しているのではないかという仮説がある。今も精度がいいとは言えないのだけど今以上に酷かった時代があった。検索結果に本当に全く関係ない広告が表示されていたような頃は、基本的に広告は避けるものという意識があって、そういう心持ちでインターネットをしてきたという過去がある。

加えて、昔はSEOはかなり怪しい手法とかテコ入れが通用していたのでそういう方法が取られていて、検索結果トップのサイトは今以上に怪しいサイトが出てくるような場面も多かった気がする。なので1番目は避ける、みたいな意識があった。

そんなこんなで今日に至るのだけど、完全にもう避けグセとなってしまっていて検索結果の最初の2,3段は無意識に飛ばしてしまう。なのでいつも検索して最初にクリックするのは広告を除いた上から2,3番目という調子でインターネットしている。

観測

自分としてはこれが当たり前な行動なので、みんなそうやってインターネットしていると思っていたのだけどどうにも違うらしい、というのが観測の結果からわかってきた。というのも会社の人・友人・家族の検索行動などをみたりしていると、どうにも僕のそれとは違って迷いなく広告をクリックしていたり1番目のサイトをクリックしているというのがわかってきた。サンプル数が少ないとはいえ観測範囲では、例えば「なにか特定の商品を探していて、検索したらAmazonの広告が出てきて迷いなくそれをクリックする」という調子の行動を結構観測できたことがある。3つ下に公式サイトがあるにも関わらず、1番上の広告をクリックしたり、広告除く1番目の結果を迷いなくクリックしていたりした。

僕にとってはかなりびっくりで、まずなぜ俯瞰して検索結果をある程度眺めないのか……というか広告クリックしちゃうんだ……みたいな気持ちがある。正直なところ現代でもSEO対策業者が廃業しないのが不思議だったのだけど、世の中の人がそんなに1番目をクリックするのなら、そりゃ躍起になって藁にもすがる思いで高い金を払って1番を取りにいこうとするのも、なるほどなという感じがある。

質問です

インターネットのことはインターネットに聞けと誰かが言っていた気がする。なのでこれは質問で、そもそも僕みたいなクセは特殊なのか??という疑問がある。実質的に僕にとっての検索結果トップは表示上2番目のサイトという感じで無意識に今日も生きているのだけど、そういう人はいないのか?というのがある。

ちなみにさっきインターネットに聞いたら1番目にも2番目にもそれっぽいのはいないという状況だった。

検索結果 1番目 避ける 癖 - Google 検索

自分みたいなクセがある者ははみ出し者なのか?という寂しい感じがある。


いつものごとくオチはなくて、とりあえず似たクセがあるという人をなんとなく探している、という状況です。

とりあえずのところ、この日記が上記のGoogle検索結果もしくは

検索結果の2番目 - Google 検索

この検索結果の2番目あたりに表示されるようになりたいですね、というのが当面の目標となっています。

食当たる

日記

体調が終わった

先週の土曜日の晩から寒気がして「これあかんやつや」となった。38℃超えが三日三晩続いて死ぬかと思った。腹を壊してなにも食べられない状態で人間はこんなに弱るのか、、、という気持ちでうなされていた。熱がある間はずっとぼけ〜っとしていたし、熱下がってからも倦怠感と力の入らなさがヤバくてこれもしかして死んだのでは?というくらい感覚がふわふわしていた。

這うようにして病院に行っておそらく細菌性の腸炎ではと診断され、心当たりといえば飲みに行ってとりの刺身という生肉を食べましたね?というのがあり、これっぽい。抗生物質を貰った。全くもって学びがない。なんで生肉食べたんですか?という疑問に対してはなんとなく勢いですとしか言いようがないので、今後の人生では一切の禁止を強いていく必要がありそう。

3日間有給をこんなことで消費して療養してしまったので、アホとしかいいようがない。もっと有意義な使い方をするのが賢い人間。賢い人間になりたい。賢い云々以前にまず人間になる必要がありそう。

非常に反省している。

2017-02-26,27の感じ

日記

土曜日

昼に起きて、だらだら友人とLINEのやりとりをして、昼ごはんたべてゲーム少しやって、洗濯物干したりして、部屋の掃除をした。

京都造形大の卒展がいまやっているので、行きたいと思いつつ、やることやってないのでタスク処理したりしていたら、夕方になってしまって諦めることになった。

その後はインターネットで物件ながめて疲弊して、Slackで人生と仕事について議論をして、lohaco眺めて、タスク処理して、勉強して、マンガ読んで、などをしていた。思うことや考えることが諸般の事情より多くて、腹が減ったし考えるのが嫌になったので冷凍庫みたら冷凍の餃子があり、冷蔵庫にはビールがあった。そういうわけで餃子焼いてビール飲んだ。

この後、急に溜まった疲れが出たのか眠気がガッッときて、少し横になったところ終わっていってしまった。

日曜日

それで、起きたら11時前だった。

こんなはずでは………という気持ちで部屋は荒れており食器は洗っていないし、洗濯物も散乱しており、という状況で、とりあえず風呂に入っていないのが問題だったので風呂に入った。

風呂に入ると人間は血行がよくなるのと清々しい気持ちになれてヤル気がほんのわずかだけ出る。風呂はすごい。

洗濯機回してる間に食器洗ったりして、アニメ見て、本読んだりしていたら洗濯終わったので干して、少しだらだらしてから、なんか天気よかったので昨日行けなかった京都造形大行くことにした。

卒展をみるのが好きで、母校でもなんでもなくても行ってみるとやっぱりおもしろい。趣味趣向の多様性が同一空間に存在しているのと、オレはこう思う、という主張感が強いのがいい。モノづくりの原点っぽさとモノづくりの終点(学生としての終点)が交差しているあたりの雰囲気がよい。展示は全部は見れないので(体力的&時間的に)、興味のある学科のものだけ見た。

プロダクトデザイン学科のドアノブの仕組みをテーマにしているやつが妙に記憶に残っていて、単純に「あ〜なるほどこういう仕組みなのかぁ」となった、それだけなのだけど一番記憶に強く残っている。自分は昔からこういうモノの成り立ちとか機構の仕組みとかを知るのが好きだからだと思う。あとマニキュアを使い捨て型のチップにしてみたやつとかもよかった。セクシャルマイノリティを考慮したユニバーサルデザインのトイレも今後近い将来の需要を見据えていてなるほど〜という感じだった。

情報デザインは面白いのがとくに多かった。パッケージデザインものが面白くて、サランラップとか豆乳のパッケージを布に印刷して詰め物して再現したやつとか、有名パッケージデザインのマジョリティデザインとマイノリティデザインの考察してるやつとか、パッケージを全部プチプチで包んでパッケージを再考するやつとかなかなかよかった。プチプチのやつは過剰包装には結構思うところがあるので、ウンウンと頷きまくっていた。博物館代理展というタイトルで、なんか色んな生物の眼球の大きさとか必要エネルギーとかをなにかしらで比較展示したやつもおもしろかった。一見なんなのかよくわからない展示だったけど、よく見てると妙に引き込まれた。パンでインクを作ったのもあって、情デザの展示には少ない体験型で変わった雰囲気を放っていた??気がする。というのも帰ってから気づいたのだけどプロダクトデザインの領域を内包していたから?という気がする??話を聞いてわかったけど、天然(?)のパンでないとうまくいかないとか、毎日補充したり掃除したりメンテとか色々必要で大変そう。案外コストがかかるということがわかって運用の厳しさがわかった。

あと、なぜか高野豆腐に文字を彫ったのがあってすごかった。うろ覚えだけどたしか高野豆腐は触るうちにメディアになっていくとか、形が刻まれ味が染み込むメディアだ、とか書いてあって今日一番のエモだった。エモみのある作品はおもしろい。

そういえばホームページを用いた展示の大半がWIXで構築されていて、でかでかと「このページはWIXで作られました、あなたもWIXでページをつくりませんか」って広告が出ていた。ホームページ作りのノウハウが授業で学べるようになっていないか、WIXがひそかにスポンサーになってるかのどっちかだな、と思った。別にそれ自体は大した問題ではなくて、それよりも未だにホームページでなんかやるっていう学生がいるのがすこし驚きだった。VRでなんかやるとかUnityでなんかやるとかアプリでなんかやる、というのはわかるけど牧歌的にホームページを舞台にやっていくという概念がいまの学生にまだあるというのが意外だった。これはとてもいいことで、ホームページ文化の継承を垣間見た気がした。


そんなこんなで卒展あとにして、スーパーで買い物して、晩御飯つくって、だらだらして今、という状況。

スーパーでブリが安かったので塩焼きにしたり、レタスで家庭菜園したり、チキンと玉ねぎをソテーしたりした。肉と一緒に玉ねぎをソテーすると肉が柔らかくなります。これは知見です。

そういうわけで、ハイライトとしては卒展でインターネットの人にあった、という部分です。よかったですね。ぼちぼちやっていきましょう。

進捗はダメだけどまあまあいい週末だった。平和な感じ。来週もいい感じになりたい。

2017/02/22の夢

夢、なんかよくわからない人間とめちゃくちゃ口喧嘩していて最悪だった。

喧嘩の夢はフェードアウトしていって、しばらくしたらめちゃくちゃタバコの煙が充満する臭いで咳き込む夢をみた。実際に咳き込んでいた気がする。住んでる部屋、春と秋の季節の変わり目は風向きが変わるのか、通風口から隣人がベランダで吸っているタバコの臭いがダイレクトに入ってくる。季節の変わり目がわかって便利。

春がやってきそうな予感がある。

さようならを聞かなくなった

日記

日常のあいさつの定型句として

  • おはよう
  • おやすみ
  • こんにちは
  • こんばんは
  • ありがとう
  • よろしくお願いします
  • おつかれさまです

これらのようなものがあり、万人に共通し日常的に使われているのもこのあたりだと思う。

表題の"さようなら"もこれら日常の定型句に含まれている気がする。さようならという意味がわからない人はいないと思うし、誰しも実際に使っていたはず。でも最近全然さようならを聞かない気がしている。

いつから我々はさようならを聞かなくなったのだろう?(もちろん今も日常的に聞く機会のある人はいるとは思うけど)
小学校の頃は帰りのホームルームの時間の〆に先生が『それではみなさんさようなら〜』と言ってそれに続いて復唱していた記憶がある。中学校の頃でも部活の終わりとか校門に先生が立っていて「先生さようならー」『はい、さようならー、気をつけて帰るんだぞ』みたいなやりとりがあった。高校の頃からあまり聞かなくなる&言わなくなる傾向がついてくる気がしていて、先生相手にはさようならと言っていた気がするけど、同級生にはしばしば「じゃ、おつかれー」という感じの対応になっていたような感覚がある。大学生になると突然みんなで示し合わせたかのように完全にさようならを言わないようになる。そういう風に振る舞うように何者かにインプリンティングされたのか?というぐらい急に「さようなら」を言わなくなってしまう。

いつの間にか「さようなら」を聞かなくなってしまった。

大学生以降、人間は「さようなら」を言わなくなるかわりに代替句として「おつかれさまです」ばかり言うようになる生物になってしまうので、なにかにつけておつかれさまと言う。会ったときも「おつかれさまです」、去るときも「おつかれさまです」、なにか声をかけるときも「おつかれさまです」という具合。

おつかれさまということば、便利ワードなので使われるのはよくわかるし、自分もまた例外なくよく使う。ただ、おつかれさまということばがあまりにも頻繁につかわれているせいで、本来の、ほんとうの意味のおつかれさまという意味合いを含むことができなくなっている節がある。なんというかこのことばには中身がないような感じがある。空虚というような、上っ面だけというような、薄っぺらいというような、気持ちがこもってないというような…。

なんというかおつかれさまというワードは一定の距離感を感じさせるような気がしていて、こう…うまく言い表わせないのだけど波風立てないし突き放すわけでもないけど、そのかわり親密になる気もありませんみたいなそういう雰囲気がある気がしている。おつかれさまを使うことで、自らこれ以上の発展性を閉ざしているというような気持ちがある。そういう気持ちがあるので、逆に自分に対して使われると「ああなんというか距離感があるなぁ」という気持ちを持ってしまう。

このような気持ちから、仕事関係の間柄とか苦手な人間以外には「おつかれさまです」はできるだけ使わないようにしている。もっとも普段から「おつかれさまです」と言うほうが機会は多くてクセが付いてしまっているので、ついポロッとそういう気がなくてもおつかれさまですと言ってしまうことはままある。お酒飲んでたり疲れていたりで思考能力が低下しているとすぐポロッと出てしまったりする。そういうときはあとで気づいてから「あ〜〜そういう意味じゃなかったんだよ〜〜〜」と一人勝手に後悔している。

去り際に使うおつかれさまですには『おつかれさまです(また会いましょう)』という発展性は含まれない気がしていて、でも「さようなら」だとなんとなく『さようなら(またね)』みたいなニュアンスが含まれていると思っている。なのでできるかぎり自ら発展性を閉ざしていく必要のない相手に対しては、僕はいつも去り際は『さようなら』を使うようにしている。なんとなく「おつかれさま」だとさみしいではないかという思いがある。


ちなみに親密な間柄になった友人とは『じゃまたね』とか『ばいばい』とかそういうストレートなことばを使っている。

おつかれさま < さようなら < ばいばいorまたね

という親密度の構図が自分のなかであり、誰に対しても本当は「ばいばい」と言っていきたいけど、大人は不自由なので「馴れ馴れしい」と思われてしまう。なので中間のさようならを積極的に使っているということなのかもしれない。なんとかして発展性を生かして閉ざしたくないという思いがあるということがわかる。


様々な感情があり色々書きましたが、ようするに

『みなさんはさようならを聞いたり言ったりしていますか?僕は言っていくようにしています。』

ということが言いたかった。

それではみなさんさようなら。

コート

日記

今日コート脱いだところなんか指が引っかかって「おや?」と思ったところ、盛大に裏地が破れていた。

悲しい。

修繕したいけど時期が悪くて、今年はこのコート1枚だけでやっていくことにしていたので修繕に出してしまうと着るコートがなくなってしまう(あるにはあるが2月のこの時期に出したくない)

家に裁縫キットは簡易的なものしかなく、ちょっとそれでは修繕不可っぽいので修繕屋に持っていくしかなさそう。裏地なので外からは見えないし大丈夫ということにして今年の役目を終えたら持っていきたい。